だからこそ。

自分を探し、自分を癒しながら 日々の色々を綴ります。だからこその気持ちで。

考え方のひとつとして。


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辛い悩みに直面してる時

こういう思い込みは どうかなって。。

考え方のひとつとして。

 

 

想像してみる----------

 

もし、自分にとって

とても大事な人が

事故にあって

生死を さ迷っている

 

その人に、もしものことがあったら

生きていけないほど

その人は自分にとって かけがえのない存在

 

おろおろと 歩き回り

不安に押し潰されそうで、

怖くて怖くてたまらない時に

 

ふと目の前に 不思議な光が現れて

声が聞こえてくる。

 

「あなたの 大事な人を助ける変わりに

あなたにとって とても苦しい試練を与えます。

あなたは とても苦しむことになりますが

それでも 助けたいですか?」

 

迷わず答える。

「おねがいします!!」って。

 

ーーー目が覚める。

 

その約束の記憶を完全に失った自分が、

ここに今 いる   自分。

 

今悩んでる自分。

 

 

 

その悩みは

かけがえのない大事なものと 引き換えにした。

 

その悩みよりも

比べものにならない程の大きな悩みと引き換えた。

 

それに比べたらなんてことない。

たいしたことない。

全然マシ。

そう 思ったのは 自分自身。

 

だから大丈夫。

 

 

 

そう思ったら  どうだろう。

 

悩みの大きさは

さらに大きな悩みを

想像することで 小さくなれるかもしれない

 

心ってそんなものかもしれないな。

 

 

時が少し過ぎて


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久しぶりの投稿。

 

このブログを始めた頃、

自分の悩みや苦しみを紛らすのに

必死だったなぁと思い出します。

 

紛らしたくても 紛れない苦しさに

もはや 記憶喪失にならない限り

この地獄からは抜け出せないと

絶望していたあの時。

 

あれから 2年近く経ちました。

もう二度と心から笑えないと

思っていたわたしも、

絶望を感じてたわたしも、

今はお笑い番組を見て ばか笑いしてる。

鼻歌歌いながらご飯作ってる。

 

時間は 流れるんですね。  

 

 

 

わたしの気持ちを楽にしてくれたもの。

それは

今 思えば ひとつは  時間という薬。

 

それから

自分の 気持ちを吐き出せる場所と、

聞いてくれる相手。

わたしはこれを ネット上のコミュニティに

見つけることが出来ました。

 

 

それから、

その悩みをどうやって 乗り越えたら良いかという アドバイスをくれるもの。

 

どう生きたら良いかとか、

どんな心の持ち方が良いとか

そんな人生哲学的なもの。

 

目には見えない力があると思えば

可能性が広がるから

スピリチュアル的なもの。

 

それらの

なんでも良いから前向きになれる

誰かの言葉や  誰かの話。

YouTubeや、本や、人のブログや無数にある

 媒体の中で

すーっと心に響くものにいくつか出会えたことが本当に救いとなりました。

 

それから、

人から 不思議に思われるけど

わたしを苦しめた 当の本人である

夫の存在も 大きな救いでした。

 

夫がわたしの 放つたくさんの鋭い矢を

受け続けても なお、

わたしと離れたくないと

言い続けてくれたこと。

 

たくさんの 負の感情を少しずつ

薄めるためには 

ぶつけることや、なぐさめや

会話や、スキンシップや

色んなものが必要だった。

悔しいけど夫にしかできないことでした。

 

 

 

わたしは

知ってる人 知らない人   関係なく

 

世の中の  誰か のお陰で  少しづつ

立ち直っていけたように思います。

 

人に傷つけられても

人に救われる。

結局は 人は人の間でしか生きられない。

 

「人間」って 文字通りだと思います。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どちらを選ぶ?


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もし、選べるとしたら、

どちらを選ぶだろう。

 

平坦な人生。

  辛いことも   苦しいことも起こらない。

だから楽しいことも

嬉しいことも当たり前に感じる。

だから、感謝も有り難みも わいてこない。

そんな

良くも悪くも

なーんにもない平坦な淡々とした人生。

 

と、

 

 

苦しいことや 悲しいこともある人生。

それらを一つ一つ乗り越えるたびに

素晴らしい事が待っていて、

「あぁ、あの事があったおかげで、、、」

苦しんだことのご褒美がある。

 

楽しいことも

嬉しいことも 当たり前ではないと

感謝や有り難みをひしひしと

感じる瞬間があるような

そんな人生。

 

 

どちらを選ぶだろう。

 

 

 

 

 


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「一緒にいたい」と 言われたくて
「別れたい」と言ってみた。

 

「お前が好きだ」と言ってほしくて

「あなたなんて嫌い」と言ってみた。

 

「お前がいい」と言ってほしくて
「あなたには あの人の方が良かったんだよ」

と言ってみた。

 



相手を試すために。

言葉は時々嘘をつく。

 

否定してほしい。求めてほしい、

安心できる言葉がほしい。

 

 

 

だけど、相手は その言葉を
そのまま受け止める。

試されてるなんて思わないから。

 

だから、望み通りの答は返ってこないし、

 良い方向へは進まない。

 

 

「一緒にいたい」
「あなたが 好きだ」
「私のことだけを見て」って

素直に言えば、 

もっとシンプルで

行きたい方向への早道なのかもしれないのに。

 

心は複雑。

時々   自分でややこしくしてきた。

バカだよねぇ。

 

でも、 それも あり。

そんな 不器用な自分を抱きしめてあげる。

 

 

 

 

愛したい


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「愛されたい」
と願ってきた。

 

でも それは 人の気持ちだから
コントロールできないこと。

 

叶わなければ 不満になる。


「愛したい」
なら自分次第。

 

自分の目の前の 大事な人。

この人を 幸せにしたい。
この人を 大事にしたい。
この人を愛したい。

 

そのために 自分は何ができるだろうか

 

そんなことを 考えながら
生きるのって すごく 心地よい。

 

 

「愛されたい」は時に苦しいけど
「愛したい」は  なんかワクワクする。

楽しめる!

 


今 目の前に 大事な人がいる。
共に生きてる。

 

何億人と人間がいる中で
出会った 縁のある人。

 

良いことも 悪いことも あったけど、
縁があり 今も一緒にいる人。

 

縁がある人って、

  きっと

 なんらかの 力で 引き寄せられた人。

偶然じゃない。

 

悪い面ばかり見て、

「愛されたい」とばかり願って生きるより、

 

良い面を見て、

「愛したい」と生きる方が 幸せに繋がる気がする。

 

目の前にいる その人を 全力をかけて
わたしは

「愛したい」

一番愛すべき人


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今までの人生で

一番 愛してると 感じてきた人たち。

 

あるときは 初恋の人、

ある時は彼氏。

ある時は だんなさん

ある時は子供たち。

 

 

でも これから

 

「最愛の人」は

 

自分自身で ありたい。

 

 

 

悪い妄想を膨らませて

自分が不安になることはしない。

 

自分を卑下して

自分のことを悲しませない。

 

自分の体を痛め付けない

 

自分の命を粗末にしない。

 

まずは 

自分の幸せを祈ろう。

 

そのあとで   

人の幸せを祈れる自分であれば

それでいい。

 

 

一番愛すべき人は

    自分自身。

 

 

 

 

 

 

 

 

きんぎょが死んだのと


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飼ってるきんぎょが 死んだ人と

飼ってる いぬが 死んだ人とでは

後者の人のほうが 悲しい?

 

 

薬を飲んで治療する病気になった人と、

手術が必要な病気になった人とでは

後者の人の方が辛い?

 

人を裏切って傷つけた人と

人に裏切られて 傷つけられた人とでは

後者の人の方が 苦しい?

 

 

その答、

今までは 全部 YESだった。

そりゃそうだ。当たり前だと思ってた。

 

 

でも 今は

「わからない」

が答。

 

人の心の中の痛みの大きさは

誰にもわからない。

人の根っこにあるものもわからない。

 

出来事に対する 捉え方も

感じ方も 人それぞれで

決まったものなど なにもない。

 

 

だから、自分の価値観だけで、

自分の見えてるものだけで、

 

人の心の中を 決め付けてはいけないな。

そう思える出来事がありました。

 

 

わたしは

きんぎょが死んで

泣いてる人に

寄り添ってあげたい。