だからこそ。

自分を探し、自分を癒しながら 日々の色々を綴ります。だからこその気持ちで。

不幸中の幸い 数える


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不幸な出来事は 

不幸な出来事でしかない。

 

でも、時間がたって

少し俯瞰して見れるようになって

 

「あー、不幸中の幸いだった」と思うことが

ひとつ ふたつ  。

 

他人から見れば

「どこが幸い?!?」

ときっと思われちゃう。

そんなこと。

 

でも、わたし自身がそう思えば

それは不幸中の“幸い”になる。

 

ひとつ

夫は 自分のした不倫という罪にたいして、

多額の金銭的制裁と

精神的苦痛を

不倫相手のご主人から与えられました。

お互い様なのに 理不尽だと

私は思いました。

その苦痛は 妻の私にもおよびました。

ほんとに辛かった。苦しかった。

 

でも、

今は  心から良かったと思います。

 

夫が無傷で終わらなくて良かった。

私も含めて  一緒に 普通以上の苦痛を味わうことになったけれど、

無傷なら夫の後悔は 今よりも小さかったはず。

不幸中の幸いだった

 

 

ふたつ

わたしは まったく望んでいなかったのに、

むしろ 嫌だったのに

相手のご主人の要望で

相手の女性と 何度も何度も会わなければならない状況がありました。

 

会いたくない、

見たくない、

なんて残酷だろう、

なんて惨いんだろう、、、毎日 泣きました。

 

でも、

今は 心から良かったと思います。

 

相手の女性を 無理矢理にでも

見ておいて 良かった。

そうでなければ 

想像が膨らみ、どんな人なんだろうと 

ずっとずっと 苦しみ続けていた。

不幸中の幸いだった

 

そういう風に

物事を見ると

不幸中の幸いが   他にも

みっつ

よっつ、、、。

 

 

ここのつ

ぐらいまで不幸中の幸いを数えれたら、

 

私の 人生に起こった 大事件が

夫の不倫 で良かった。

なせなら

苦しいけど それだけでは

命にかかわらないから。

夫が元気で良かった。

不幸中の幸いだった

 

そうなれるのかな。

 

 

不幸中の幸いは 

きっと見方を変えれば

 

ある。

 

他の人が 

「どこが幸い??」

って言うようなことも、

自分自身が そう思うなら

それは  “幸い”と数えれる。

 

不幸中の幸いも

幸いのうち。

“幸い”はひとつでも多い方がいい