人の 気持ちを
「どうだったのかな?」
「こうだったのかな?」
とあれこれ 想像して、
それを通り越して 妄想して、、、
それは とっても無意味な事だったと
痛感しました。
どんなに時間を割いて考えたところで、
本当の答はその本人にしか分からないこと。
当たり前。
そして、
その無意味なことを考えている時ほど
苦しかった 。
夫が不倫をし、
その時の夫の気持ちや
行動や、
ありとあらゆる夫のことを知りたくて
考え続けました、
「どうだったんだろう」って。
夫の気持ちを
あれこれ妄想して
自分で出した答は
大体が 最悪なもの。
真実は 全然違うかもしれないのに、
自分で最悪な答を出して、
決めつける。
そして、その自分で考えた最悪の答に
自ら囚われ
深く悩み
さらに苦しみました。
本当の答が知りたくて、
夫にも たくさん 聞きました。
気になったことのすべて 、
「どうだったの?」って。
でも なにを聞いても、
たとえ、それが 私の聞きたい答だったとしても、
「私をこれ以上 傷つけないように答えを選んでる」
そう思ってしまいました。
なにを聞いても、
「そんなわけない」
「ほんとは こうなんじゃない?」
と 悪い方へ。悪い方へ。
だって、真実は 本人の心の中。
考えたって 、聞いたって 、
結局は、その時の 自分の心の状態が
答を決める。
そんな気がします。
人の気持ちを考えるって
本来はとてもステキなこと。
人のために
何かしてあげたいなぁとか、
良いことをしたいなぁって時は、
その人の気持ちを想像して
ワクワクしたり 嬉しくなったり
気持ちの良い方向へ。
でも、傷つけられたり、悲しい出来事に対して
その相手の気持ちを考える時は
どうしても悪い方向へ 。
プラスの考えは、
マイナスの考えに 負けてしまう。
ネガティブのパワーはほんとに強い。
私だけなのかな?
どうせ、たくさんの時間を割いて
考えるなら
答の出るもの、答のあるものを。
それは、
「自分の気持ち」
「自分はどう思ってる?」って。
「自分はどうしたい?」って。
それを考えて、
その答に素直に従うほうが
よっぽど自分自身のためになる。
自分を苦しめない。
自分を救う 。
とても意味があると思うのです。
そう、 ちゃんと、わかってる。
でもね、やっぱり 考えちゃうんです。
その人が、大事な人であれはあるほど。
答が出なくても たとえ苦しくても
その人の気持ちを考えてしまう。
そして、
「こうじゃなかったらいいのになぁ」と思うことを なぜか それが答!
と決めつけてしまう。
なんなんだろう。
自分でも わかりません。
もっと 自分の楽になる考え方をして、
自分の好きな答、
自分の気持ちの良い答を選べばいいのに。
どうせ分からないのだから、
自分の都合の良い答にしてしまえばいいのに。
自分で自分を苦しめて。
ほんと、バカだなぁ。